「行脚」とは、修行のために僧侶が各地を歩いて旅をすること。「世界」とは、仏教ではグローバルの意ではなく、人それぞれが持っている世界観のことを意味します。
私たちが見て、聞いて、触って、思える「世界」とは決して一つではありません。誰もが大なり小なり、思想・宗教・文化と呼ばれるものを持っていて、星と星が重力で引かれ合うように、他者と影響を与え合いながら、自分の世界を揺らして生きています。
仏教という2500年の年月を越えて、今私たちの傍にあるものも、そんな”他者”の一つです。
私たちはまだ何も世界のことを知りません。「行脚、世界。」に込めたのは、そんな自他の境界線を行ったり来たりしながら、”世界の揺らぎ”を楽しんでいく姿です。
創刊13年目を迎える『フリースタイルな僧侶たち』とともに、不要不急の行脚の旅へお参りいただければ幸いです。
「休めって言われても、休み方がわからない」
「何もしないことに不安や罪悪感を覚える」
「休みの日もなんとなく休んでいる気にならない」
「休むというよりも、何かに休まされているような感覚がする」
そんな声がある。考えはじめると「休む」って、むずかしい。私たちの安らぎは、どのような「休む」の末に見つかるのだろう。作為(do)としての「休む」や、労働の相対としての「休む」からは少し離れ、日々の暮らしの隙間で味わう、”生き返るようなあの感覚”から「休み」を紐解いてみよう。
vol.61