こんにちは。フリースタイルな僧侶たちWeb版の編集部です。
先月2019年7月に開催した、お坊さんによるWeb説法大会「むちゃぶり法話バトル」。
無茶ぶりお題を「タピオカ」に設定して、全国のお坊さんから法話を募集しました。(開催要項についてはこちらをご確認ください)
その結果、第1回の開催にもかかわらず、なんと12名のお坊さんから16の法話を投稿いただきました!!!
「こんな無茶振りなテーマでも、お坊さんって法話つくれるんだ?!」
「おお、この角度からタピオカと仏教をつなげられるのか!」
と、編集部一同、投稿いただいたすべての法話を興奮気味に受け止めさせていただきました。
さて、そんな16の法話が、3つに絞られました。
この3名の審査員に一人一つ法話を厳選いただきました。この記事では、選ばれた3つの法話を審査員のコメントとともに公開!
そして、記事最後には読者投票のためのリンクを入れています。そう、ベスト法話を決めるのはあなたの一票。
3つの法話の中から、あなたがいちばん良かったと思う法話に投票してください!
さて、この夏、あなたの心の琴線を震わせるベスト法話はどの法話になるのでしょう?
エントリーNO.1
- お名前:佐山拓郎
- ご年齢:43歳
- 所属宗派:浄土系単立
- 所属寺院:五百羅漢寺
- SNS:Twitter
タピオカブームらしい。以前にも流行した記憶があるが、その頃を知らない若者の間で、また流行っているようだ。仲間や恋人とともにタピオカを嗜むことを「タピ活」というのだという。
前回のブーム経験者としては、今さら並んで買うほどのものではない、と思っていたのだが、法話するにあたっては、一度試しておかなければならないだろう。何事も自身の経験から。戒を受けていない者から授戒できないように、タピ活を知らない者に、タピオカ法話はできない。
コンビニにもあるようだが、職場の若者から「並ばずにタピオカを買っても、それはタピ活ではない」と聞いた。意外と深いタピオカの道。仕方がないので、暑さの中、とりあえず専門店の行列に並んでみる。まわりの視線が痛い。
みな、楽しそうに喋りながら、あるいはスマートフォンを眺めながら、それぞれに待ち時間を過ごしている。
並んでいるうちに、少しずつ言葉の意味がわかってきた。
タピオカを買うことだけが、行列の目的ではないのかもしれない。一緒にいる誰かや、画面の中の誰かとともに、並ぶ時間を共有することも、タピ活のうちなのではないか。
実際に並ばなければ、気づくことはなかっただろう。タピオカはいつでもそこにあったのに、私はそれを見ないようにしていた。少し並ぶだけで、触れることができたのに。
「月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」という、法然上人の歌が浮かぶ。月の光はすべてに降り注いでいるが、それを見ようとしない者には届かない。阿弥陀さまの慈悲を月の光にたとえ、それに触れるための、仏心の大切さを詠んだ、浄土宗の歌。
並んで買ったタピオカドリンクは、冷たく、甘く、そして美味しかった。仏心に、タピオカが染み渡っていく。
流行にのることは、今を生きること。「今、ここを生きる」のが、禅の教え。
タピ活の先に、浄土と禅の心があった。目の前に、タピオカの道が広がったような気がした。
審査いただきありがとうございました!この法話を選ばれた、決め手はどこだったのでしょう?
心に染み渡りましたね。私は今回の企画で初めて法話というものに触れたのですが、普段雑な言葉が飛び交う環境で生活しているので、この法話の丁寧な言葉遣いに心が癒されました。
たしかに、句読点の使い方や言葉のリズムまで、隅々まで心が行き届いた原稿でしたね…!
特に「並ぶ時間を他人と共有するのもタピ活のうち」の部分が、自分の体験とシンクロしました。実は最近自分もタピオカデビューした口で、タピオカとはずっと距離を置いていたんです。でも、転職先にタピオカ部なるものがあったせいか、誘われて表参道のタピオカドリンクのお店へ行ったことがあるんです。そのときの感動が、まさにこの法話で表現されていました。タピオカ自体に価値があるんじゃなく、体験すべてに価値があるんだと。
ほ〜!最後に、タピ「活」がタピオカの「道」になっていたのが、すごく象徴的でしたね。
例えば、普段「自分の街」だと思っていなかった表参道にも、この体験のおかげで少し親近感を持てたり。タピオカを飲むことだけが目的じゃないんですよ。この法話がすごいのはその場の臨場感が伝わってくることですね。あと行間を読ませる力もすごいと思いました。
「浄土」と「禅の心」、仏教の言葉が二つ織り込まれていましたが、法話初体験でも十分に理解できましたか?
なんとなくですが、すべて分かりました。知らない言葉でも、物語とつながっていると意味は感じ取れますね。「なるほど、だから法話って経験と知識で構成されているのか」と納得しました。この法話は実際に足を運ばれたエピソードが元になっているので、物語に没入しやすかったです。
エントリーNO.2
- お名前:笠原泰淳
- ご年齢:60歳
- 所属宗派:浄土宗
- 所属寺院:林海庵
- SNS:Twitter
今日は、私ごとながら、娘のまりかの話をさせて頂きます。
今、娘がはまっているのがタピオカドリンク。あれを食べるというのか飲むというのか、「『タピる』って言うんだよ」と娘は申しておりますが、つまりほとんど毎日タピっているわけなんです。
ただタピれば良い、という訳ではないようです。一人でやればひとりタピ、ってことになるんでしょうが、そういうことはあまりないらしいです。誰と一緒にタピるのか、どこのお店でタピるのか、というのが重要らしいですね。まあ私なんぞから見たら、煩悩のかたまりみたいなものであります。
あるときは、「〇〇(お店の名前)でバッタリ△△(人の名前)に会っちゃってさ。苦手なんだな、あの人。参っちゃった。」と言いながら帰って来ました。私は「そうか」と言い、その日の日記に「まりか、タピで苦手な人と会う」と書きました。またその翌々日には、お店が臨時休業だったと言って嘆いて帰ってきます。私の日記には、「まりか、タピれずに残念。」
なるほど、これはもしかしたらお釈迦さまの教えに通ずるかもしれません。仏教には「苦の真理」という教えがありまして、要するに人生なかなか思い通りにはゆかない、ということです。求めてもそれが得られないときに苦しいと感じる。会いたくない人に会えば苦しいと感じる。あるいは、今日は前々から行きたいと思っていたお店に行く約束をしていたのに、朝から熱が出てダウンしてしまった。みんな楽しくやっているだろうなあ。それから、こういうのもあります。タピり続けていたら、正直、ちょっとだけ飽きてきちゃった。初めのころの感激はもうなくなっちゃったなあ。あるいはこの先、高校を卒業すれば、もうこの楽しみはなくなっちゃうだろうなあ。
というようなことを並べながら、まりかに仏の教えを説いてみたところ、口をきいてくれなくなりました。
まさに人生、思い通りには参りません。
この法話を選んだ理由はどこにあるのでしょう?
もう、日記のフレーズ、最高じゃないですか!「まりか、タピで苦手な人と会う」「まりか、タピれずに残念。」これだけでも俳句になるんじゃないかってくらい(笑) お父さんが若い娘さんを通してタピオカを見てる情景が鮮明に浮かびました。
たしかに、この法話がいちばん投稿者様の「素」が出てた気がします!
もちろんどの法話も素晴らしくて、私なんかが意見を言えた立場じゃないんですが、一読者として言わせていただくと……この前、法話日本一を決める「H-1グランプリ」を見に行ったんですけど、私の心を動かす法話って、語っている方の人間性がぜっっったい出てるんですよ。その人の日常とか生活感が自然に出ていて、無理していない感じ。お坊さんとして話しているというよりも、一人の人間として話している法話が私は好きです。その方がかわいいし。
では、他の法話は少々堅苦しいっていう印象がありました?
漢字が難しかった……(笑) 仏教の話になったときに一気に思考が止まっちゃって。まぁ私の勉強不足が原因なんですけど……それでも、私はスラーっと読める法話の方が好みかな。今回の「苦」の説明に関しても、若干つながりに無理はあるかなぁと思ったんですけど、主張を強烈に押し付けてこないのが良かったです。私もタレント活動をしていて「思い通りにいかないな〜」と思うことが多くて。そんな風に、読みながらこちらにイメージの余白を持たせてくれたのがすごく推せるポイントですね。
。
エントリーNO.3
- お名前:うたうお坊さん
- ご年齢:28歳
- 所属寺院:法音寺
- SNS:YouTube
タピオカブームに乗っかり、うちの田舎町にもついにタピオカ専門店ができました。
週末になるといつも行列ができます。行列に並んでいると、お会計をしている若いお姉さんが『すいませーん。タピオカって単品で持ち帰りできないんですかー?』と聞いていました。
店員さんは『申し訳ありません。タピオカ単品での販売はしてないんです。』と謝ってました。
『そういえばタピオカって、単品では見たことないなぁ。ミルクティーとかパフェとかいつも何かに入ってるんだよなぁ。それでいて主役になれる存在なんだよなぁ』と、
そんなことを考えているとふと、仏教用語の『主人公』という言葉が頭に浮かんできました。
そう実は『主人公』という言葉は仏教の言葉なのです。意味は、自分の中にいる本当の自分という意味。
タピオカと同じように僕達は様々な環境や人と交わりながら生活をしています。
その中で時に、周りに流されて自分を見失ってしまうことも多くあります。
僕自身も周りの意見を聞きすぎて、本当に自分がやりたいことを見失いかけていたこともありました。
でもタピオカはタピオカなのです。
ミルクティーと交わろうがパフェと交わろうが、蛙の卵みたいで気持ち悪いと言われようがタピオカはタピオカです。
パフェでは底にいて、なかなか出てこないけど『主人公』なんです。
よーく見るとかなり気持ち悪いけど『主人公』なのです。
でもそれって僕たち人間も同じではないでしょうか?
建前で取り繕っても所詮は、『誰かに愛されたい』との欲求を満たしたい生き物なのです。よーく見ると気持ち悪いんです。。。
本当の自分と向き合うとは、自分の中の弱さや、恥ずかしさ、気持ち悪さを認めてあげるということ。
そして周りに何と言われようと、自分のやりたいことを自分なりに成し遂げること。
それが、人生を力いっぱい楽しむことだと思っています。
だって、人生の『主人公』はやっぱり自分自身なのですから。
この法話を選んだ決め手はなんでしょう?
「これって私のことじゃん!」っ言っちゃうほど、共感が多かった点です。何度、心のいいねボタンを連打したことか(笑)
。
具体的にどのあたりに共感されました?
「人間もよーく見ると気持ち悪い」って部分です。共感しすぎて思わず笑ってしまった(笑) 元々私は自分が大嫌いで、他人から愛される理想の自分を作り上げて長い間やり過ごしてきたんだけど、いつかそれにも限界が来て。そのときに「私は私でしかない」と思ったんですよ。
おおお!過去の経験と法話がそんなにリンクしてたとは…!
それで、いざ自分を見つめ直してみたら、本当の私って誰かを妬んでたり、ちやほやされたいと思ってたり、ドロドロした欲の塊で(笑) それでも、そんな自分を「主人公」だとこの法話は言ってくれたんですよ。しっかり目を向けて、本当の自分と付き合っていきなさいと。タピオカのことなのに、まるで私のこと言われてるみたいで(笑) 「主人公って仏教の言葉だったの!?」っていう驚きとともに、現在の自分を全肯定してくれました。
たしかに、綺麗事では済ませようとしない覚悟がこの法話からは伝わってきました。
共感する法話の大前提として、お坊さんの人柄がむき出しになっていることが大事なのかも。JPOPの歌詞の「この歌、私のことを歌ってくれるじゃん〜〜」のテンションで、自分の経験と重ね合わせられる法話を聴いていると、いつも自然と涙が出てきます(笑)
読者投票の末、第1回ベスト法話が決まる…!
いかがだったでしょう。以上、3つの法話が審査員により選ばれました。
さて、この3つの法話の中から読者の皆様からの投票を経て、ベスト法話が決定します。
読者投票の前に、もう一度、3つの法話を再掲します。
エントリーNO.1・2・3の中から、あなたが一番良かったと思う法話はどれですか?
(もうすでに決まっている方は、記事の最下部までスクロールして、アンケートフォームに記入してください)
エントリーNO.1
- お名前:佐山拓郎
- ご年齢:43歳
- 所属宗派:浄土系単立
- 所属寺院:五百羅漢寺
- SNS:Twitter
タピオカブームらしい。以前にも流行した記憶があるが、その頃を知らない若者の間で、また流行っているようだ。仲間や恋人とともにタピオカを嗜むことを「タピ活」というのだという。
前回のブーム経験者としては、今さら並んで買うほどのものではない、と思っていたのだが、法話するにあたっては、一度試しておかなければならないだろう。何事も自身の経験から。戒を受けていない者から授戒できないように、タピ活を知らない者に、タピオカ法話はできない。
コンビニにもあるようだが、職場の若者から「並ばずにタピオカを買っても、それはタピ活ではない」と聞いた。意外と深いタピオカの道。仕方がないので、暑さの中、とりあえず専門店の行列に並んでみる。まわりの視線が痛い。
みな、楽しそうに喋りながら、あるいはスマートフォンを眺めながら、それぞれに待ち時間を過ごしている。
並んでいるうちに、少しずつ言葉の意味がわかってきた。
タピオカを買うことだけが、行列の目的ではないのかもしれない。一緒にいる誰かや、画面の中の誰かとともに、並ぶ時間を共有することも、タピ活のうちなのではないか。
実際に並ばなければ、気づくことはなかっただろう。タピオカはいつでもそこにあったのに、私はそれを見ないようにしていた。少し並ぶだけで、触れることができたのに。
「月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の 心にぞすむ」という、法然上人の歌が浮かぶ。月の光はすべてに降り注いでいるが、それを見ようとしない者には届かない。阿弥陀さまの慈悲を月の光にたとえ、それに触れるための、仏心の大切さを詠んだ、浄土宗の歌。
並んで買ったタピオカドリンクは、冷たく、甘く、そして美味しかった。仏心に、タピオカが染み渡っていく。
流行にのることは、今を生きること。「今、ここを生きる」のが、禅の教え。
タピ活の先に、浄土と禅の心があった。目の前に、タピオカの道が広がったような気がした。
エントリーNO.2
- お名前:笠原泰淳
- ご年齢:60歳
- 所属宗派:浄土宗
- 所属寺院:林海庵
- SNS:Twitter
今日は、私ごとながら、娘のまりかの話をさせて頂きます。
今、娘がはまっているのがタピオカドリンク。あれを食べるというのか飲むというのか、「『タピる』って言うんだよ」と娘は申しておりますが、つまりほとんど毎日タピっているわけなんです。
ただタピれば良い、という訳ではないようです。一人でやればひとりタピ、ってことになるんでしょうが、そういうことはあまりないらしいです。誰と一緒にタピるのか、どこのお店でタピるのか、というのが重要らしいですね。まあ私なんぞから見たら、煩悩のかたまりみたいなものであります。
あるときは、「〇〇(お店の名前)でバッタリ△△(人の名前)に会っちゃってさ。苦手なんだな、あの人。参っちゃった。」と言いながら帰って来ました。私は「そうか」と言い、その日の日記に「まりか、タピで苦手な人と会う」と書きました。またその翌々日には、お店が臨時休業だったと言って嘆いて帰ってきます。私の日記には、「まりか、タピれずに残念。」
なるほど、これはもしかしたらお釈迦さまの教えに通ずるかもしれません。仏教には「苦の真理」という教えがありまして、要するに人生なかなか思い通りにはゆかない、ということです。求めてもそれが得られないときに苦しいと感じる。会いたくない人に会えば苦しいと感じる。あるいは、今日は前々から行きたいと思っていたお店に行く約束をしていたのに、朝から熱が出てダウンしてしまった。みんな楽しくやっているだろうなあ。それから、こういうのもあります。タピり続けていたら、正直、ちょっとだけ飽きてきちゃった。初めのころの感激はもうなくなっちゃったなあ。あるいはこの先、高校を卒業すれば、もうこの楽しみはなくなっちゃうだろうなあ。
というようなことを並べながら、まりかに仏の教えを説いてみたところ、口をきいてくれなくなりました。
まさに人生、思い通りには参りません。
エントリーNO.3
- お名前:うたうお坊さん
- ご年齢:28歳
- 所属寺院:法音寺
- SNS:YouTube
タピオカブームに乗っかり、うちの田舎町にもついにタピオカ専門店ができました。
週末になるといつも行列ができます。行列に並んでいると、お会計をしている若いお姉さんが『すいませーん。タピオカって単品で持ち帰りできないんですかー?』と聞いていました。
店員さんは『申し訳ありません。タピオカ単品での販売はしてないんです。』と謝ってました。
『そういえばタピオカって、単品では見たことないなぁ。ミルクティーとかパフェとかいつも何かに入ってるんだよなぁ。それでいて主役になれる存在なんだよなぁ』と、
そんなことを考えているとふと、仏教用語の『主人公』という言葉が頭に浮かんできました。
そう実は『主人公』という言葉は仏教の言葉なのです。意味は、自分の中にいる本当の自分という意味。
タピオカと同じように僕達は様々な環境や人と交わりながら生活をしています。
その中で時に、周りに流されて自分を見失ってしまうことも多くあります。
僕自身も周りの意見を聞きすぎて、本当に自分がやりたいことを見失いかけていたこともありました。
でもタピオカはタピオカなのです。
ミルクティーと交わろうがパフェと交わろうが、蛙の卵みたいで気持ち悪いと言われようがタピオカはタピオカです。
パフェでは底にいて、なかなか出てこないけど『主人公』なんです。
よーく見るとかなり気持ち悪いけど『主人公』なのです。
でもそれって僕たち人間も同じではないでしょうか?
建前で取り繕っても所詮は、『誰かに愛されたい』との欲求を満たしたい生き物なのです。よーく見ると気持ち悪いんです。。。
本当の自分と向き合うとは、自分の中の弱さや、恥ずかしさ、気持ち悪さを認めてあげるということ。
そして周りに何と言われようと、自分のやりたいことを自分なりに成し遂げること。
それが、人生を力いっぱい楽しむことだと思っています。
だって、人生の『主人公』はやっぱり自分自身なのですから。
以上、3つの法話になります。
さて、あなたのベスト法話、決まりましたでしょうか? ご回答は以下のフォームからお願いします!!
※回答権は一人一回のみ
※回答後の編集不可
※回答期間:8月14日(水)23:59まで
果たして、第1回ベスト法話の栄冠は誰に輝くのか……? 結果発表をお楽しみに……!!!
(最後になりましたが、この度はお忙しいところ、法話をご投稿いただいた僧侶のみなさま方、誠にありがとうございました)